和歌山県和歌山市美園町のメンタルクリニックおおや

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おおや通信
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うつ、うつ状態、うつ病について9(社会病理論)

かつて、不登校やひきこもりという一種の「やる気のなさ」に対して退却や回避の修飾語がついた「抑うつ」が議論されました。個人の病理とともに社会病理も議論されました。また抑うつの状態像が古典的な抑うつと異なることもポイントでした。疲弊うつ病の概念もかなり社会病理の視点を含んでいます。疲労困憊からうつ病への深化を促進する要素を現在社会が有していることは推測できます。ただし社会病理論は実証や検証の点で曖昧な部分を含んでいます。その点で医学的な研究のテーマには向かない宿命を有しています。むしろ社会学や心理学が多くを語る状況です。

西行について

西行の和歌は新古今和歌集に多くが登場し、小倉百人一首にも選ばれています。その際は唯の西行ではなく西行法師となっています。「なげけとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな」がその歌です。山家集という歌集も有名です。管理者が西行が和歌山県那賀郡打田町(現紀の川市)竹房の生まれであると知ったのはほんの十数年前でした。銅像が建っています。イメージとしての西行は松尾芭蕉と重畳する部分が多く、詳細を知ることはありませんでした。西行の研究者が多いことを最近知り、びっくりしています。

西行も紀ノ川筋の人でした。

覚鑁は1095年から1144年までの生涯でした。西行は岩出の隣町、打田町で1118年に生まれています。覚鑁を「内観の聖者」とすれば西行は「漂泊の歌人」でしょうか。覚鑁は宗教家としての側面が目立つのに対し、西行は出家者であり、旅を棲家とした歌人でもあります。同時期ではないようですが、ともに高野山に居住していたことから何らかの接点がありそうです。西行が覚鑁に関して詠んだ歌があります。「近きころ高野の御山にかくばん上人とてやんごとなき聖者おわしけり」です。西行が聖者というくらいの覚鑁上人です。打田の方が岩出の方を褒めています。

障害者白書について

本日政府は精神障害を有する人が300万人おり、その3分の1が感情障害(要するにうつ病が増加したとの含意)であると発表しました。障害という概念を「回復しないもの」とイメージすると、この政府発表は大きな誤解を生じます。うつ病の多くは回復し、生涯固定するものではありません。また仮に固定したものであったとしても、その人なりの人生は全うできます。問われるのは、予防、早期治療、危機管理、社会的な認識だと思います。その人を取り巻く人たちの理解や協力も重要です。

6月20日は休診日です。

当クリニックが入居しているVIVOがメンテナンスのために当日閉館します。したがって6月20日(水)は当クリニックも全日休診となります。ご迷惑をおかけします。ご了承をお願い申し上げます。来院ご希望の方は前日の午前中を診察時間に充当します。ご遠慮なくお申しつけ下さい。

岩出市民は紀ノ川筋か?2

岩出市民からお叱りを受けるかも知れませんが、根来寺の凄さ、奥深さを認識され、堺と並ぶ先進性が存在したことを誇りにしてもいいのではないでしょうか?堺市民は「もののはじまり、皆堺」と自慢げに言い、おでんも堺が発祥の地であると主張します。新義真言宗が智山派、豊山派に別れ関東で大発展を遂げたことや、輪島塗の元祖が根来塗であったこと等を故郷の自慢にして頂きたいと思います。管理人からすれば、岩出は紀ノ川筋と大きく括るより、独自性を主張して頂きたいと思います。根来寺が桜の名所と言うだけでは勿体無いです。

岩出市民は紀ノ川筋か?1

長年岩出にお住まいの方は、「岩出は紀ノ川筋である。ただし、蛇島(紀ノ川の中にある船岡山という島;中州というより島です)を境にして、気候も気質も違う」と仰いました。蛇島は那賀郡(紀ノ川市)と伊都郡との境でもあり、岩出市は下紀ノ川筋とでもなるのでしょうか? 大阪府や和歌山市から岩出に転居された方は、紀ノ川筋という感覚はお持ちではないように思います。

根来寺は大塔や大門もあり、現在でも大きな立派な寺です。桜の名所として有名ですが、岩出市民はもっと根来寺を誇りにして欲しいと思います。

和歌山について8-根来寺3 鉄砲伝来-

1543年、ポルトガル人により鉄砲が種子島にやって来ました。その後の戦国時代の合戦方法に重大な影響を与えることになります。鉄砲が日本に広まる経路は3つあったようです。種子島、堺、そして根来です。堺や根来寺の経済的繁栄は熱心な貿易にあった様子がうかがえます。

  • 2007年6月8日

続・梟について

フクロウとかミミズクとか言われますが、それほど明確な区別はないようです。ミネルヴァでは知恵の象徴ですが、それほど知能は高くなく、カラスのほうが賢いそうです。梟の特徴は何と言ってもその風貌です。大きな目、鋭い嘴、丸みのある体系、頭を360度回転できること(頚椎の数が多いそうです)等、攻撃的でなく優しく賢いイメージがあります。森の番人としても静かに森を守ってくれているような気がします。

フクロウとかミミズクとか言われますが、それほど明確な区別はないようです。ミネルヴァでは知恵の象徴ですが、それほど知能は高くなく、カラスのほうが賢いそうです。梟の特徴は何と言ってもその風貌です。大きな目、鋭い嘴、丸みのある体系、頭を360度回転できること(頚椎の数が多いそうです)等、攻撃的でなく優しく賢いイメージがあります。森の番人としても静かに森を守ってくれているような気がします。

  • 2007年6月4日

梟について

ヘーゲルの言いたかったことは、多様な解釈を許す余地はあるものの、「黄昏(物事や状況の終焉)になってやっと知恵や理屈(梟)が登場するということ」(哲学の悲観的側面)だったと思います。知恵があるから何かが出現するのではなく、何かの終わりになってやっと解釈が登場すると言う事です。チャレンジすることをせずに、理屈ばかり先走っても何も生まれません。何かを成し遂げるにはまずチャレンジです。旧態依然の社会に安住し、理屈は言うが何も行動しなければ何もうまれません。しかし、チャレンジ自体は合目的的で強い意思を持っていないと、唯の無謀な思いつきにしか過ぎません。

ヘーゲルの言いたかったことは、多様な解釈を許す余地はあるものの、「黄昏(物事や状況の終焉)になってやっと知恵や理屈(梟)が登場するということ」(哲学の悲観的側面)だったと思います。知恵があるから何かが出現するのではなく、何かの終わりになってやっと解釈が登場すると言う事です。チャレンジすることをせずに、理屈ばかり先走っても何も生まれません。何かを成し遂げるにはまずチャレンジです。旧態依然の社会に安住し、理屈は言うが何も行動しなければ何もうまれません。しかし、チャレンジ自体は合目的的で強い意思を持っていないと、唯の無謀な思いつきにしか過ぎません。