和歌山県和歌山市美園町のメンタルクリニックおおや

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おおや通信
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慢性疲労症候群(CFS)について

厚生労働省の診断基準では,慢性的な強い疲労を主(大症状)とする病態で,臓器疾患や膠原病等,精神疾患を除外したものになっています。リンパ節の腫脹や微熱,筋肉痛や関節痛が小症状に含まれます。実は診断基準をみてもよく解らない疾患であるとの印象です。問題点はいくつかありますが,ひとつは疲労(客観的指標)や疲労感(主観的評価)が定義されていません。また,何らかのウィルスや細菌の感染が免疫機能を中心にして機能障害をもたらすことのようですが,原因病原体が特定されると○○感染後遺症となってしまいます。さらに最近ではストレス原因説も出て混乱しているようです。ただし,臨床では強い疲労感のみを訴え,大変風邪をひきやすい方やアレルギー疾患をお持ちの方をたくさん診察します。この疾患概念の有用性はまだ未知数ではないでしょうか?

診断基準の曖昧さ5

「目に見えないものを診断者が正しく判断できるのか」という問いはかなり哲学的(認識論的)問題です。懐疑主義的な考えでは、目に見える客観的対象ですら人は正しく認識できず、ましてや精神的な現象は尚更認識できないことになります。また懐疑論に拠らず、認識できると仮定しても、それを正しく他者に伝達できるのか、他者が正しく理解できるのかという問題が生じます。診断はある種の仮説(診断基準)に拠るものであり、その仮説は暫定的であることを肝に銘じなければなりません。

診断基準の曖昧さ4

前記のような程度の問題は、診断者の判断が優先されるとすれば主観的な診断になる可能性があります。そこで可能な限り客観的な診断を求めようとしても、微妙な程度の差であればあるほど診断者間で違いが出ます。これは避けられないことです。また、ある一人の診断者でもある時は積極的に、ある時には消極的に診断せざるをえない状況があります。例えば、「診断をするが後は何も治療できない、フォローできない」状況では診断は控え目にならざるをえません。ダブル・スタンダード(二枚舌)との叱責を受けることもあるでしょうが、逆に「明確に診断しても誰のためにもならない」状況もありえます。客観科学の指向にも限界がある訳です。現実はそれほどクリア・カットではありません。

診断基準の曖昧さ3

例えば、「質的には発達障害だが程度ととしては軽い状況である」と診断者が判断したとします。このとき、「発達障害」と診断すべきでしょうか?或いは、すべきではないでしょうか? 通常、質的な異常があっても臨床閾値以下であれば診断しないことが本筋であると私は考えます。しかし、白か黒かを求められるとどのように伝えればいいのか困惑します。このような問題が生じやすい疾患があります。発達障害や人格障害、PTSD等です。程度の問題は質的な問題に比べ診断者と本人や周囲との受け止め方に齟齬が生じやすいのです。

診断基準の曖昧さ2

精神医学的診断基準は数値や画像ではなく言語で表現されます。言語は多義性を否定できませんので、身体医学に比べ精神医学的診断基準は曖昧で解りにくいものです。しかも代表的な下記診断基準は数年毎に改変されています。身体医学の進歩を新たな事実の発見とするなら、精神医学のそれは新しい解釈や概念の抽出と言えそうです。

診断基準の曖昧さ1

現在繁用される診断基準はDSM(アメリカ精神医学会)とICD(世界保健機関)です。誰もが納得できる診断基準は望むべきではありません。客観性の担保や異なった文化・社会で使用されるという点から、それら診断基準の立場は症候論的なものであり、原因論が排除されるのが原則です。よく「○○の原因でうつ病になった」と言われますが、うつ病の診断基準自体には原因は含まれていません。また障害は「社会生活を営む上での障害」との意味も含むのですが、社会は変化し、国や地域によって「何が社会的か?」は一定ではありません。