- 2007年6月18日
- 和歌山について
西行も紀ノ川筋の人でした。
覚鑁は1095年から1144年までの生涯でした。西行は岩出の隣町、打田町で1118年に生まれています。覚鑁を「内観の聖者」とすれば西行は「漂泊の歌人」でしょうか。覚鑁は宗教家としての側面が目立つのに対し、西行は出家者であり、旅を棲家とした歌人でもあります。同時期ではないようですが、ともに高野山に居住していたことから何らかの接点がありそうです。西行が覚鑁に関して詠んだ歌があります。「近きころ高野の御山にかくばん上人とてやんごとなき聖者おわしけり」です。西行が聖者というくらいの覚鑁上人です。打田の方が岩出の方を褒めています。