和歌山県和歌山市美園町のメンタルクリニックおおや

JR和歌⼭駅ステーションビルMIO 5F

診療予約(予約優先)

073-427-0008

おおや通信
NEWS

うつ状態、うつ病について26(治療7)

以前、うつ病の病勢期に認知療法や行動療法がなじまないことを述べました。そこまでの系統だった心理療法のみならず、本人への分析的な関与や状況を本人に語って頂くことも躊躇われることが多いのです。思考は渋滞し、時には制止していることがあり、会話を交わすことがご本人にとって苦痛である場合があります。また、否定的な認知や自信喪失から、語りかけの言葉を非難や叱責に感じられることもあります。「励まし」すら非難や突き放しに感じられることがあります。「うつ病は改善すること、今は休息と服薬が大切であること」等を簡潔に説明するにとどめることが大切です。これらは、重篤なうつの場合特に当てはまります。

執着性と強迫性

うつ病の病前性格として執着性が挙げられます。執着性とは「こだわり」なのですが、強迫性も「こだわり」です。前者は自我親和的であり、後者は自我違和的であると説明されます。個人的な目的や価値観の追求、他者の為に断れない等の理由でこだわるのが前者です。後者では不快な考えや忌み嫌う状況に囚われるためにこだわります。どちらにしても疲労感が蓄積します。その病的な状態が、前者ではうつ病であり、後者では強迫性障害ということになります。

  • 2008年1月28日

ミネルヴァの梟は木にとまっていた。

HPのMENTAL CLINIC OYAの左に梟がいます。遠慮勝ちに木にとまっています。これは、大阪市在住の友人W.Y.さんのデザインで、川崎市在住のS.K.さんの配色によるものです。

うつ状態、うつ病について25

うつ病の①病勢期の前には、病前期が考えられます。大きな心理的ショックによりうつ状態が比較的速やかに出る場合(適応障害によるうつ状態)もありますが、発症前の前段階としての病前期が想定される場合が圧倒的に多いと考えられます。疲労感や不眠、食欲不振や身体的不定愁訴が気分の抑うつより以前に存在します。ただし、それら症状があるからといって必ず診断基準を満たすうつ状態に陥るとは限りません。「疲れているから休む」という当たり前のことが出来にくい時代です。ご注意下さい。

診断基準の曖昧さ5

「目に見えないものを診断者が正しく判断できるのか」という問いはかなり哲学的(認識論的)問題です。懐疑主義的な考えでは、目に見える客観的対象ですら人は正しく認識できず、ましてや精神的な現象は尚更認識できないことになります。また懐疑論に拠らず、認識できると仮定しても、それを正しく他者に伝達できるのか、他者が正しく理解できるのかという問題が生じます。診断はある種の仮説(診断基準)に拠るものであり、その仮説は暫定的であることを肝に銘じなければなりません。

うつ状態、うつ病について24(治療6)

うつ病の治療法は、薬物療法や精神(心理)療法に大別されますが、これらの組み合わせ方や比重は治療の時期や患者さんの病状や周辺状況に依存します。うつ病の経過を①病勢期、②回復期、③リハビリ期に分けられるとします。
①の時期は休養と服薬が主であり、認知療法や行動療法は通常行いません。
②では睡眠・覚醒リズムの改善や薬物の副作用の確認、短時間の精神療法が中心です。
③では職場や学校に戻るための生活リズムの改善や活動する自分のイメージ形成、再発しないための心がけの形成等が大切で、行動療法や認知療法が役立ちます。
最後に、患者さんが自分の弱点に気づいて頂ければ、スムーズに会社や職場に復帰できます。

  • 2008年1月15日

梟が大人気で、多くの企業やお店等でトレードマークになっています。和歌山でも市街地活性化に積極的に取り組む有名企業がトレードマークに採用しています。大変立派な梟です。梟の意味する知恵が求められているのかも知れません。当院の梟はあと少しで登場します。

  • 2008年1月8日

知恵(哲学・思惟)の限界をヘーゲルは「ミネルヴァの梟は黄昏に翔ぶ」で述べた訳です。とにかく梟は知恵の象徴であり、人や世界にとって必要なものです。特に、物事を整理しないままに先送りばかりしていては本当に黄昏になってしまいますね。

景気と気分

英語ではともに“MOOD”です。不景気もうつ病も“DEPRESSION”です。1929年の世界大恐慌は“THE GREAT DEPRESSION”で、大うつ病は“MAJOUR DEPRESSION”です。好景気の後には不景気が来やすいのと同様に、そう状態の後にはうつ状態が来やすいものです。一国や世界の景気の舵取りとして、金融政策や財政政策、システム改革があるのと同様に、人の気分の調整にはそれなりの医学的な対応策があります。個人や一国の景気が周囲に影響され、自力本願だけではどうしようもないのと同様に、人の気分も自力本願だけではどうしようもないことがあります。

  • 2007年12月30日

「ミネルヴァの梟は黄昏に翔ぶ」

この言葉の意味を現時点では以下のように解釈しています。この言葉は「人生や社会の終末が近づいた時知恵が救いとなる」ということではなく、「物事の終わりになってやっと理屈ができて解釈可能になる」という哲学や人間の思惟・思考の限界を述べたものです。結局、「理屈を捏ねる前に行動するしかない」ということでしょうか?そのような一年であったと私は思っています。来年も良い年にしたいのですが、努力・研鑽・粘りあるのみです。行動の後に梟が飛翔するのです。